徳川慶喜の玄孫が語る家系図と断絶の真相!山岸美喜が明かす名家の家じまいを徹底解剖
日本の歴史上で最も著名な玄孫のひとりとしてクローズアップされたのが、徳川慶喜の直系子孫である山岸美喜氏です。ここで注目すべきは、「徳川宗家」と「徳川慶喜家」の明確な違いです。
明治維新後、徳川将軍家の宗家は田安徳川家から養子に入った徳川家達(いえさと)が第16代当主として継承しました。一方、隠居して静岡で謹慎生活を送っていた徳川慶喜公は、明治35年(1902年)に明治天皇から特旨を受け、宗家とは別に「徳川慶喜家」を創設し、最高位である公爵に叙せられました。これが徳川慶喜家の始まりです。
家系図を辿ると、慶喜公から始まる直系の系図は次のように受け継がれてきました:
- 初代:徳川慶喜(江戸幕府第15代征夷大将軍)
- 第2代:徳川慶久(慶喜の七男。貴族院議員などを歴任)
- 第3代:徳川慶光(慶久の長男。昭和期の当主)
- 第4代:徳川慶朝(慶光の長男。写真家として活躍、2017年に逝去)
山岸美喜氏は、第4代当主であった徳川慶朝氏の実妹にあたる人物です。慶朝氏と美喜氏から見て、初代・徳川慶喜公は「曾祖父の父」、すなわち直系尊属の4世代前であり、慶喜公から見れば二人はまさに「玄孫」にあたります。
Tags: