近所のネパール料理店はなぜ増えた?インネパ店の謎と激ウマ本場メニューの全貌
街を歩けばどこにでもあるインネパ店だが、その成り立ちには緻密なサバイバル戦略が存在した。1990年代後半から2000年代にかけて、技能ビザ(コックビザ)を取得して来日したネパール人調理師の多くは、まず既存のインド料理店で働いた。当時の日本において「ネパール料理」の認知度は皆無に等しく、一般消費者が求めるエスニック料理といえば「タンドール窯で焼いた大きなナン」と「濃厚な北インドカレー」一択だったからである。
彼らが独立して自らの城を構える際、あえて自国の名を冠さず、あるいは「インド・ネパール料理」と併記したのは、集客リスクを最小限に抑えるための経済合理的な選択だった。ネパール東部やポカラ近郊出身の料理人たちが、日本人客向けに甘みを強めたマンゴーラッシーやチーズナンを焼き続ける。その背景には、故郷へ送金し、家族を呼び寄せ、同胞の新規開業を支援するという強固なコミュニティネットワークが機能していた。